もうすぐ母の命日を迎える。
すい臓がんが分かってわずか半年足らず、きなり末期との余命宣告を受け、あの時 家族は本当に愕然としました。
今は、胃がんでも大腸ガンでも、早期発見で癌を克服した方はいっぱいいらっしゃる。
早期発見を促し、検査を受ける人も増えているけれど、すい臓がんは早期発見がほとんど出来ない癌だとも言われている。
見つかった時には、ステージ4の末期という、「ガンの王様」と恐れられるのが分かる。
たとえステージ1でも、5年生存率が50%代だという現実。他の癌なら早期発見で100%治るのもあるというのに・・
でも、今まで、すい臓がんの怖さなんて考えもしませんでした。全く他人事だったと思います。
すい臓がんになった母の治療の流れや、抗がん剤治療について、私が感じた事、家族との気持ちのズレ・・などを書いてみたいと思います。
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すい臓がんになった原因は何か?
母は、昔胃潰瘍の手術を受けているため、消化に悪いものには神経をとがらせ、刺激のあるお酒はもちろん、コーヒーもお茶も飲まない、熱いものも、辛いものも食べず、慎重に生活してきた。
健康診断だって毎年受けていたし、病気でもないのに毎年胃カメラしたり、ちょっと気になると、すぐに病院に飛んでゆく病院好きとはで言われた母でした。
あの、用心深い健康オタクの母が、ある日突然、すい臓がんの末期だと言われてショック、、、、担当医にも、原因の特定はできないと。
すい臓がんというと、「お酒を飲む人」という勝手なイメージが私にはあって、どうしても母と結びつかず、病気になったことを受け入れることができませんでした。
弟も、他の病院に転院させては。。なんて話しまで出たりして。
でも、絶対に治す!!! そういって母は、抗がん剤治療を選びました。
・・本人には末期などとは言えるワケもなく、初期のすい臓がんだと話しました。
すい臓がんの症状も自覚もなく、どこも痛くなので「これは治るね!!」そんな希望を抱いていた母。
でも、すい臓がんは、初期症状がないから、恐ろしいガンなんです。
そう思えば。。という感じで思い当たるとすれば、軽い腰痛があったことでしょうか。しかし、70歳を過ぎた母の年齢からすれば、腰痛があってもさほど特別心配もしませんでした。う~ん、これがいけなかったのかな、と考えてしまったり。
場所がいろんな臓器に隠れていいるために、放射線治療も出来ず、やれることは、抗がん剤治療だけでした。
母の兄が、抗がん剤治療を受けて、それでも亡くなってしまったので、抗がん剤治療に対して不信感を持っていたはずの母でしたが、自分が癌になったとたん、抗がん剤にすがりついていました。
それは、しかたのない事かも知れません。どれだけ不安だったか、怖かったか。
すい臓がんが発見されたのは、偶然に撮った肺のレントゲンでした。
すでに肺に転移しているガンが見つかったのです。
肝臓にも転移していました。でも、自覚症状は全くなく、元気に旅行にも行っていました。
すい臓がんの余命半年という宣告を受けても(私だけにですが)元気いっぱいだったのに、抗がん剤治療が始まった途端、みるみるうちに体重が落ちていきました。
食欲も落ち、病院では栄養補助ドリンク(エンシェア・リキッド)を出してもらっていました。でも、それすら入っていかないといいます。
・・エンシェア自体が飲みにくい感じも否めませんが(^^;
エンシェアリキッドは、食欲が無く思うように食事をとる事が出来なかった母に処方された栄養補助食品です。
・1缶の容量・・250ml、250カロリリー
バニラ味、コーヒー味、ストロベリー味などがあって、甘く少しトロッとした印象です。牛乳由来の成分が入っている為、牛流アレルギーの人は飲めません。
担当医は治療と言って母を励ましていましたが、実際は、延命治療でした。
少しでも現状を維持して、家庭で過ごせるようにする。・・その為の治療という感じ。
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すい臓がんの抗がん剤治療を始める
週に一度、病院に行き、抗がん剤(ジェムザール)の点滴をして、
後は、自宅でのんびりすごす。 それを3週間続けて1週間はお休みというサイクルです。
時々お見舞いに来てくれる親戚や友人たちとお話しをしたり・・という生活でした。
一気に体重が10キロ以上も落ちてしまったので、体力がなく散歩すらもやっとの状態でした。やはり、食べれず体重が落ちてしまうのは、体力的にも精神的にもダメージが大きいです。
ジェムザールは、他の抗がん剤と比べて副作用が少ないらしく、ガン患者に見られるような、髪の毛が抜ける、吐き気がある、などの症状はありませんでした。
しいて言えば、軽い便秘と 食欲不振です。
食欲がないのは副作用というよりも、消化器である膵臓ガンの影響だったと思います。
治療を始めて、2ヶ月後、体重は10キロも減っていました。
自分が死ぬのではないかという不安、食べられない辛さ、友人たちの励ましも逆に自分がみじめになり、辛かったと思います。今更ながら、もっと配慮してあげればよかったと後悔している部分です。
ガン告知から4ヶ月後、肝機能が低下し黄疸治療の為に入院。
治療が終わったら1週間で自宅に戻るはずが、治療が上手くいかずそのまま1ヶ月入院ののち亡くなりました。
入院してから、痛みがひどくなり、最後の方はモルヒネ系の痛み止めもどんどん増やしたため母は妄想なども出てきて、私たちも少し混乱気味でした。
どんどん腹水がたまり、全身の怠さ、食欲の無さ、との闘いでした。
体位交換を何度もして、倦怠感からなんとか解放してあげたかったのですが、一日中付き添いをしている私もストレスで参ってしまいました。一番苦しかったのは母なのに。
ジェムザールでの治療の時は、本人には内緒で、時々体力を考えて量を減らしてもらいました。ストップをすると、母が見放されたと落胆しかねないからです。
それも黄疸が出た頃にはストップしました。
抗がん剤を拒否したら長生きできたか?
もし、余命宣告をされた時点で、抗がん剤治療を受けずにいたなら、もっと長生きができたのだろうか?
私を含め、身内でもいろいろな意見がありました。抗がん剤治療反対本も、その反論本も何冊も読みました。
今でも、答は出ません。 なにを選んでも、結局悩む気がします。
亡くなってしまった今は、「もし抗がん剤を使わずに自然に任せていたら 管に繋がれた姿で痛い思いをせずにもっと長生きできたのでは・・」と考えてしまうことはあります。
在宅医療をすることはできなかったのか?あれこれ浮かびます。
正直辛いです。私が決断をした・・そう思うと責任の重さも感じます。
でも、くよくよしててもしかたがないので、この経験を生かさなくては・・と思います。
すい臓がんの早期発見は、エコーが一番いいそうですが、一般的な健康診断では、すい臓のエコーなどないと思います。しかも、すい臓は医者でも見落とす場合がある、難しい場所です。
身内にすい臓がんで亡くなった人がいる事を伝え、慎重に見てもらう方がいいと思います。あまり、認知されていない膵臓癌ですが、最近は、急激に増えているそうです。
歌舞伎役者の坂東三津五郎さんは、手術が可能なほど早く見つかったのにもかかわらず
残念な事にお亡くなりになりました。
一刻も早く、すい臓がんの早期発見の方法が見つかる事を願います。
こちらのサイトに来て下さった方は、同じ様な悩みを持たれている方なのかも知れません。
抗がん剤は、時々すごく相性のいい方がいるようです、余命3ヶ月と言われた方でも、食べ物を変えてガンが消えた・・なんて本も読みました。
どうが、希望は捨てずに、患者さんを支えてあげて下さい。私は出来なかった事ですが・・余命という言葉に振り回されない方がいいと思います。
そして、看病する周りの方も、どうかご自愛下さいますように!
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