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膵臓癌で余命宣告をされた母の闘病生活のこと。

母は膵臓癌と余命宣告をされて、戦いに敗れてしまったけれど、その時の事を書いておこうと思いました。

ある日突然、すい臓癌の末期(ステージ4)だと言われた時の頭が真っ白になったあの感覚がつい最近の事の様に感じます。・・でも、母はもういません。

 
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膵臓癌で余命を言い渡される瞬間のこと

 
あの頃は、すい臓がんという病気の知識もまるでなく、病気をどこか他人事のように考えていた呑気な私たちの生活が、「余命半年」と宣告されたその日から一変しました。

膵臓癌の余命宣告
ネットで実際に膵臓癌を治した方の生の情報が知りたくて、「余命宣告されても治った!」という情報を見つけたくて毎日パソコンをチェックしていました。

母の状態や検査や薬のことなどを日記にまとめました。
遠く離れた兄弟たちにも、母の状態や気持ちをしってもらいたかったのもありました。

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結局は、治りませんでした。
医者の宣告通り半年という短い闘病生活はあっけなく幕を閉じてしまいました。

とはいっても、家族にとっては一日一日が本当に濃い日々でした。絶望と希望の中で揺れ動きながら、結果的には母と別れる為の心の準備もさせてもらった気もします。

病気治療にはいろんな所でいろんな判断を迫られます。

 
私と家族のとった行動は母にとって本当に良かったのだろうか。
本当は、もっと長生きできたんでは・・母が亡くなってから毎日の様に考えました。
親戚からの声もまるで自分が責められているのでは・・と感じてしまうほどでした。

 
母の膵臓癌の事をブログに書く事なんて考えませんでしたが、
もしかしたら、同じように抗がん剤の事で揺れ動いている方がいるかも知れないと思い、
母の膵臓癌を通して私が感じた事を書いてみようと思いました。


以前、命日の前に書いた記事がひとつあります。
すい臓がんの症状と末期の治療について・・母の場合。


 
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母が膵臓癌になった原因・・


癌生活の始まりは、検診で受けた肺のレントゲン写真に写った影からでした。
母は40年ほど前に胃潰瘍の手術をしていた事や、元来の神経質さもあって、体調管理には人一倍気を付けていました。

 
骨粗しょう症の治療と称して二か月に一度は内科の先生に定期診察を受けていました。
お医者さんとしては、どこも悪くないのによく病院に来る患者さんだなぁと思われていたのかも知れません。

 
腰から足にかけての痛みは加齢によるものだとも言われました。
それが膵臓癌の影響だったかなんて 今となっては誰にもわかりません。

 
「特に心配ないですよ~」と先生に言われたくて通っていたのかも。
私も、いちいち病院に行くことかな?なんて心配性の母を笑っていました。

 
そのくらい心配性、神経質だったんです。
ちょっとの変化でも病院に行くような人が、レントゲンに映った肺の影は、すでに他の部位に転移している膵臓癌のステージ4状態だといきなり言われて、納得できるわけがありません。

 
病院からの帰り道、車を運転する私の横で母が、「絶対治すよ!」と力強く笑って言ったのが今でも思い出されます。


私だけ別室に呼ばれて、母の命はもって半年だと、最後のお正月だと、医者に言われても母の悟られまいと「治るよ絶対!」って車の中で二人で元気なふりしてた。

そして、こんなに元気なのにどうしてガンになっちゃったんだろうかと、信じられない気持ちでいっぱいでした。

すい臓癌末期の治療は抗がん剤しかないのか?


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本人には肺や肝臓への転移の事や末期状態にある事は伏せました。
癌の治療をしていきましょう!と担当医はいいましたが、治りますよ、とは言いませんでした。

 
そこで治療として登場するのが、化学療法「抗がん剤」です。
担当医からは、すい臓の位置や病気の状況から、手術も放射線治療も出来る状態ではないことを告げられ、選択肢は抗がん剤のみ、当然やりますね?という流れでした。

化学療法同意書
母は、病気になる少し前に、兄を悪性リンパ腫でなくしていました。

その治療に抗がん剤が使われていて、その副作用の辛さを間近で見た事があり、抗がん剤を使わなかったらもっと長生き出来ていたのではないだろうか?と話していました。

 
客観的に見れる立場と当事者との違いは大きいのかも知れません。

母が膵臓癌末期でステージ4、余命6ヶ月と言われた時に、「抗がん剤を受けなければ、いつ亡くなるかわからない状態」と言われ私はパニック状態になりました。

 
近藤誠氏の「余命3ヶ月のウソ」という本を読んでいた私なのに自分の親が癌になると、とたんに揺らぎました。

あんなに疑問視していた母も、自分が癌になったとたん、「抗がん剤で治して下さい!」と先生にすがりました。

 
副作用についての書類をもらい、ネットでも調べました。
すい臓癌用の抗がん剤「ジェムザール」は、抗がん剤の中でも比較的副作用の少ない薬だと言われていて、実際に髪の毛は最後まで抜けず、吐き気もそれほど強くはありませんでした。

抗がん剤の副作用
ジェムザールは、週に一度の点滴です。
最初に吐き気止めのデカドロン10分、次にジェムザール30分、吐き気止め10分 といった感じ。これを週一で点滴をして、3回繰り返し4週目はお休み。

 
吐き気はないとはいっても、抗がん剤の影響で食欲がガクッと落ちました。

一番強い副作用は全身のだるさだったようです。寝返りをうつことすらダルい感じ。でもこの怠さをどうにかしたくて、始終体位を変えても十分に眠れていない様子でした。

 
水曜日に受けた抗がん剤の影響が土曜日まで残るというパターンで、お見舞いなど友人に会うのは、週の始めだけにしていました。


抗がん剤を始めて2ヶ月、癌の進行と副作用とどちらの影響が大きかったのか・・母の体重は10キロも減っていました。


体重の減少とともに病気と闘う意欲まで無くなっていて、「どうしてこんな風になってしまったんだろう」と涙することもありました。

 
担当医によると、癌の進行は遅くなっているので抗がん剤が効いているとのこと。

でも、母の姿はどうみても悪化しているとしか見えませんでした。「こんな治療いつまでやれば治るの?」という母。内緒で先生にお願いして抗がん剤の量をギリギリまで減らしてもらいました。


でも、やめると死ぬかもしれないという恐怖で母はいっぱいだったのかもしれない。
食欲もなく悪阻のような感じで、すっぱい物が食べたいと酢の物などを好んで食べた。


癌を宣告されて三か月半、頭や耳の痛み、腰の痛みを訴えるようになった。
ずっと寝ているからだと母は言っていましたが、子の頃には骨への転移が見れれたようで、癌が全身に回っていたのだと思います。

 
痛み止めのロキソプロフェン、オキシコンチン、オキノーム、どんどん増えました。
痛みが無い時でも眠剤がないと眠れない状態でした。全身がだるく辛かったのでしょう。

 
余命を宣言されて5ヶ月、抗がん剤5クール目の1週目が終わったあたりで黄疸症状がでました。
肝臓の機能が低下している。腹水も溜まり始めています。ステントを入れて黄疸を治す処置をするために、1週間の予定で入院をすることに。

 
しかし、40年前に受けた手術の影響と、腹水の影響で、どうしても肝管のつまりが解消できず処置ができないまま退院も出来ず、胃に潰瘍ができ、吐血。

 
日増しに強くなる痛みを取る処置をし、腹水を減らすための点滴をしました。
体をさわると熱があるわけでもないのに、体中が熱いという母。熱さまシートを足の裏に貼り、アイスクリームや氷を食べていた母。

 
がん末期の患者さんの多くは、冷たい食べ物を欲しがるそうです。
怠くてどうにもならない体を何度も体位変更をお願いする母。
自分で自分の身体さえ動かせない辛い気持ちを私はどこまで分かってやれたろうか。

 
マッサージをしていると、母は自分が自宅のキッチンで料理をしている妄想に入ったらしく、次はニンジンを入れて・・・と言う。

 
夜中に急に大きな声を出したり、全く目を閉じずに天井を見ている母。
変わり果てた母にやるせない思いだったけれど、本人が一番つらいにきまっている。

 
それから一週間ほど。
尿の量が減り、血圧が落ち、母は静かに旅立った。


さいごに・・

 
ここまで書いてみて、自分は何をしていたのかと思う。

 
母は家に帰りたかったにちがいない。
母を連れて帰る勇気がなかった自分。 こわかったのかもしれない。
一番考えてあげなくちゃいけないのは、母の気持ちだったはずなのに。

これからも 考えてしまうだろう。

 
まとまりがない文章で、何の為に書いたのか分からなくなりました。
ごめんなさい。

 
【 追記 】
身近な人を看取るということは、考えていた以上に複雑な思いが残るものです。
一人で抱える事のないよう、誰かに、どこかに、気持ちを吐き出す場を見つけることも大切だと今、感じています。


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少しでも参考になれば幸いです。

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